《03月05日 木》

▼書籍をめくったり画面をスクロールしていると,自分にとって心地よい文章に出会うことがある.そういう時はハサミを使ったり文字を写し取ったり,お手軽に切り取りコマンドでモバイル環境にアップロードすることで,読み返したくなった時にいつでも開ける環境を作っている.

▼ここのところインターネットを読んでいると,ずっと頭のなかでぼんやり考えていたことをスパッと言ってくれている文章にばかり巡りあっている.自分もこういう考え方すればここまで書けたかあなどと勝手に勉強したつもりになる一方で,知らず知らずのうちに自分の頭は型に嵌まっているんだろうなあという危惧感も抱く.そろそろ新しいことをやるべきだというサイン.

《03月06日 金》

▼自分の書きたいことをジャーナルのエントリーとしてシステムに取り入れてまとめるのは,マネージメントの合理化としてはほぼ最適解である.記事を一つ書いてアップロードするのにウェブデザイナーである必要もない.ビジター (読者) にとっても必要としている情報を手に入れやすいので,運営者には好まれやすい.またウェブデザインをするにあたって WordPress は外面的にかなり融通が効く構造になっている.背景・全体の雰囲気を調整するパーツ、メインの記事を表示するパーツ、メニュー専用のパーツ、フッターのパーツといった形で,サイト全体で細かくデザインも調整できる.

▼じゃあどうして WordPress の採用をやめて,面倒にも関わらず一から全部作ることにしたのか.ブログの形式そのものに嫌気がさしたから.

▼あらゆる物事に順序があるのと同じで,ウェブサイトを作るにもいくつかの段取りがある.FTPにログインする.新しい HTML ファイルを作る.写真をアップロードする.CSS を書いて納得行くデザインができるまで編集する.HTML ファイルを開いてこのテキストを書く.全部私が直接サーバーに命令したことで,どういう過程を経て今のウェブサイトが見えているのか把握できる.一つ一つの命令に対してちゃんと結果が返ってくるのを見るのは,いかにも自分がウェブマスターであるということを自覚できて楽しい.

▼CMSを採用する行為は,私にとってそういう楽しみを全て一つの完成されたシステムに委託することである.確かに WordPress でこういう記事を書いてもちゃんと入力した結果が返ってくる.でもそこに至るまでの過程でCMSがどういうプロセスをサーバーに命令したのかが目に見えない.いつの間にか新しいジャーナルエントリーができていて,そこに私の書いた記事が表示される.厳密にいうとそれは私が直接サーバーに下した命令じゃない,WordPress が私の命令を請け負って,私に直接見えないやりかたでデータベースを書き換えて,期待されるべき結果を表示していた.これに私は長いこと強烈な違和感を感じていた.

▼要するにアナクロな人間なのだ.CMS に頼るのをそもそも辞めたかった.その代償として,私はウェブサイトの基盤となる部分を,システムに頼らず一からモデリングすることになったわけだが,もともとミニマリストなウェブサイトを目指していたこともあり,必要なコーディングもいまのところ最低限に抑えられているので苦にはなっていない.わからないものは理解するという強い意志で WordPress に臨むという選択肢もあったけれど,人間である以上理解に割けるリソースは限られているわけで,WordPress を完全に把握してからウェブサイトを作るよりは,単細胞の脳を持つ私でもわかるもっとシンプルな構造で始めた方が,なにかモノになるだろうと思ったわけ.ついでに副作用を申し上げると,システムに束縛されないウェブサイトは軽い.今は背景写真のロードをもっと軽くできるかどうか試行錯誤中.

▼書く側からすれば非常に面倒だし,読者から見れば非常に読みにくい仕様ではあるけれど,一個人の大したことないウェブサイトというのはそういうものでいいんじゃないですかねえ.ところどころ表示のズレも確認しているのでそのうち直しますが,完成されていないということは則ち死んでいないことの現れでもあります.

▼かくしてまっさらなウェブページの原点に立ち戻ってみました.天地創造ってなかなか面白いじゃないか,というのが率直な感想です.

《03月10日 火》

▼私が知っている限り,私の家系は父系母系ともに,誰もまだ突発的に (則ち,交通事故や震災、空襲、戦死といった形で) 死を迎えていない.とてもとても幸いなことである.残念ながら病気で亡くなった人はいるし,とても近い親類が不本意にも事故で一時意識不明の重体に陥ったこともある.その人は直接死と正面から向き合い,数ヶ月、数年単位のリハビリを乗り越えて無事に帰ってきた.今も健在である.この長い伝統は私も継承していきたい.

▼昨年12月に祖母の節目のお祝いで,関東、関西、米国東西両海岸から総勢9人が京都に集まった.一日一日をゆっくり,しかし確実に踏みしめて生きている二世代上の祖父母たちは,義務教育を終える前に対米戦争を生きながらえた歩く証人である.祖父母は自分たちのそれまでの日記を紐解くように,娘である母と私の伯母,それから孫である私たちに思い出話をしてくれた.90分の録音が手元にあるものの,まだ書き起しはほとんどできていない.今日は祖父母が見た大空襲に焦点を当てる.

▼戦況が悪化しつつある1944年,名古屋の小学校にいた祖父は岐阜へ疎開していた.疎開中は時折飛行機も飛来していたようだが,機銃掃射で蜂の巣にされることもなく無事に過ごせていたようだ.祖父は当時小学校6年生で,翌年の3月には名古屋にもどり,現地で卒業することになっていた.

▼祖父は荷物を名古屋に予め送っておいた.集団疎開列車に乗って名古屋へ戻ってきたのは3月18日という.名古屋駅に届いていた荷物を友人と二人で荷車に載せ,家の玄関に荷物をゴロンと置いてそのままにしておいたそうだ.その日の晩,名古屋は1週間前の東京と同じく,文字通り火の海になった.祖父をはじめ家族は幸いにも全員無事避難できた (逃げる直前に握り飯を作るぐらいの猶予もあったとされる) ものの,玄関に置いていた荷物はもちろん,代々伝わっていた財産まで家ごと焼失してしまった.東へ東へと逃げていって.その日の明け方,家族は親戚を頼って火の及んでいなかったところで落ち着き一日を過ごした.予定されていた祖父の卒業式は3月20日だった.祖父は,これがまた真面目な話で,と前置きして,そんな状況で卒業式に行ったわけだ,と語る.

▼不思議にも学校の周りだけがぽこっと形を残してた,だけど誰も来てないし,考えてみればそうだよね,前の晩に大空襲に遭って,校区にいた子の多くの家は燃えていたんだものね.辛うじて形を残していた家を覗きに行くと,そこで死んじゃってる子どもたち,卒業生もいて,そんな状況を目の当たりにしながら俺はずーっと歩いて,もちろん交通機関もなにもないからね,避難した所から学校まではかなりあったんだけど真面目に学校に行った.

▼その途中に俺の家がある.まだくすぶってたけど,まあなんにもなくなっちゃっていて.子供として育ってる時は家があり,その空間を意識するわけだけど,実際に焼けて土地が平らになるとね,ものすごく狭いんだわ.君たちは経験無いけどね,住んでる家が焼けて無くなったらね,なんてことはない,こんなに小さかったんだというのを痛感した.平面で見るのと立体で見るのとではずいぶん違うんだね,目の錯覚だね.

▼かくして祖父は小学校を卒業しないまま大人になった.祖父はその後中学校も高校も、当時はまだ珍しかった大学にも行き学位を取得した.数十年ほど経って,ようやく仕事が落ち着いた頃に,当時の疎開児童たちが「幻におわった卒業式をやらないか」と意気投合しあい,焼夷弾でなくソメイヨシノが吹雪く晴天の中,自分たちで証書を書き上げ,長い長い小学校生活に終止符を打ったという.祖父の最終学歴は小卒なのである.当時を乗り越えた世代にとっては決して珍しくないことだったのだと私は思う.

▼70年前,私の祖父母は確かに地元で地獄を見ていた.にも関わらず,私達に語りかける祖父母は常に声を荒げなかった.今となっては日本中を火の海にしたアメリカにも,またそういう状況を結果として作った帝國政府にも,憎しみは湧いてこなかったのだろう.時折冗談交じりに聴かせてくれた笑い声は,過去は過去として純粋に懐かしさを思い返しているようだった.

▼祖父母は45年の戦火を乗り越え,95年の阪神大震災を乗り越え,11年の東日本大震災を乗り越えた.今の私は何を乗り越えたんだろうなあと呟くと,祖母が姿勢を正して私に語る.私も神妙な気持ちになって姿勢を正す.

▼こんな災いはね,できるものなら避けるに越したことはないの,リスクを背負うことと引きずり込まれることは別なのね.今後あなた達が自分で道を選んで,それが結果として成功か失敗かはあなた達が決めることだけど,人間として真っ当に生きて,あなた達がいつまでも元気でいてくれるなら,それこそが私たちにとって最幸な物語のエンディングね.辛いのを乗り越えるのは私たちだけで,いや,もう,いらないわね.

《03月17日 火》

▼学生だから,というのは重ね重ね承知だが,それでも,1行日記を書いてその日を思い返す時間さえ無いほど切羽詰まっている,仕事に追われているというのは,学生である前に人間としてどこか生き方を間違っていると疑わざるをえない.あと4日で折り返し.近いようで遠い先の話.

《03月18日 水》

▼成人として法的に認められたのを記念するつもりではないけれど,機会があればと思ってずっと頭のなかにあった妄想旅行計画の一つをこのたび実現できる機会に恵まれました.1週間に渡る単独旅行は今回が初めてで,それを今週末に控えています.わくわく.今回の目的地はポルトガル・リスボンです.

▼ヨーロッパにはもともと行きたかったんですよ.ベタにロンドンとかパリとか行っても良かったんですが,行ってみたい所と限られた予算を天秤にかけて一番面白そうだなーと思ったのがポルトガルだったわけです.飛行機のチケットを買ったのは昨年10月なのですが,丁度バーゲンセールをやっていて,この時期のサンフランシスコ往復搭乗券を買うよりも安く確保できました.オーマイブッダ! なんというディール….

▼今となっては遠いようでかなり近い先の話,まだまだ先だと思っていたらもう来週なので,荷物もそれなりに準備しないといけない.出発前に密林を頼って (空港で買うより安く手に入るし) 買っておいたものがあるので並べておく.主に電源関係.

USBバッテリーパック.$20.99. 日本やアメリカでの旅行では電源が十分確保できることがわかっている (今どきの飛行機には大抵USBプラグがあるし,自分の MacBook で充電もできる) ので必要なかったけど,今回は必ずしもそういうわけにはいかない可能性が高いということ (今回パソコンは滞在先から基本的に持ち運ばない方針へ転換),また何よりも言葉や地理が初めてなので Maps を開いたり Translator を使ったりと,電源を食う処理が多そうなことばかりお願いする予定だから, iPhone がバッテリー切れになると困るなと思い,保険を兼ねて買っておいた.結構電源容量が大きいのを買っておいたので,残量を心配する必要は無さそう.これを機会に日本帰国やアメリカ旅行でも持ち出すことにするかもしれない.

電源プラグのアダプタ.$6.69. これがないと私が持ち出す電子機器が全て使えない.翻訳機並に大事なもの.私が使う予定の電子機器の充電器は,パソコンからカメラ,剃刀のものまで全て変圧器が入っているので,電圧による故障を心配する必要はない.

▼実験用に買った超小型三脚.$11.99. 光が確保出来ない所で,床や安定した場所において撮影出来るかと思って購入.ちゃんとした三脚は今回妹に貸し出してあるので手元には無い.大学では普段写真撮影しないので,さほど困っていないけど.

▼カメラももちろん,準備出来てますよ.このたび機材がひとつ増え,3つを駆使して撮影します.よさげなものをまた Flickr にアップするつもりです.

▼今回の旅行のテーマはかなりはっきりしている. "WABISABI MEETS SAUDADE." 単独で訪れる東洋・島国の人間がサウダーデを尊ぶ国で何を感じるか? 新たな思考実験に私自身も注目です.

《03月19日 木》

▼画面の大きいパソコンで日記を書いていると一行あたりの文字数が多くなるので「もっと書かないと」みたいな義務感に駆られるけど,iPhone で読みなおしてみると「あぁ書きすぎたな」ってしょっちゅう思う.バランスをとるのが難しいですなあ.

《03月22日 日》

▼昨日,今日のあいだに話をしたことを,身元を明かさない範囲でメモ.私の発言も含む.当人の経験による発言 (セカンダリ・ソース) なので引用は自己責任.

▼縛りから解放されてもまた新たに縛られるので,あくまで道の判断は最後まで保留に,くれぐれも誤るべからず.自分の属性 (アイデンティティ),知識,文化的経験,法的権利,人との付き合いから得た偶然の機会,判断においてはこれら全てを複合的に考慮せよ.

▼大学院に入るのなら同時に National Science Foundation (NSF) にも学振を申請しておけ.博士課程5年の内3年は持ってくれる.2年 TA をするのと,5年するのとでは,生活と研究の充実度・余裕の出来具合がだいぶ違う.

▼大学院に於いて学部での成績はそこまで重要ではない.合否に大きく関わるのは,学部時代にどんな研究をいくつやったか,どの先生からレコメをもらったか ( ! ) の2つ.

独身のまま入院して異性・同性のパートナーと交際できている人間の数は,私の周りではゼロだ.覚悟しておけ.

▼2年前にも出た話題.ボストンの気候が相変わらず寒いことに関連して.仕事するならカリフォルニアの北部だよね.サンフランシスコ・ベイエリアだよね.

▼アメリカの大学を見学に行くなら実際にその環境下で生活することになる冬に行け.夏に幻想を抱いて大学進学するととんでもなく幻滅するぞ > 若き中高生諸君

▼大学によって休みが今週か来週か,一週間あるか二週間あるかが変わってくる.春休みは特に基準となる国民の祝日が無いので,他大学の学生と予定を合わせて何処かへ行くのは本当に難しい.予定を合わせやすいのは感謝祭.

▼専門性を極めること,選択肢をたくさん作っておくことそれぞれに一長一短がある.一つに対するコミットメントが大きければ大きいほど,その道を進むスピードも専門性の習得も早いけれど,学生の間であっても後戻りが利きにくくなる.学部生であることの一番の利点は道を変えるのも決して遅すぎる選択ではないということだ.適正を見極めて道を変えることは何も恥ずかしいことではない.選択肢を増やしておいて来るときに選べるのが理想的と思って私はやってるけど,何に自信を持つか,何を重要視するかでその選択肢は変わる.学部生の内は,専攻の専門性云々を気にする必要は特にない.少なくとも私が訊いた限り,採用する側は誰もそこまで気にしない.

▼「いかに自分に磨きをかけるか」という生涯の取り組みにおいて,成績ってそこまで命取りではないよね.空き時間を勉強に費やせばもっといい成績とれるかもしれないじゃないけど,でもその勉強の結果見逃す機会もあるよね.たとえばこうやって話をする時間から得られるものって勉強では得られないこと.あるいはスポーツに励んでストレスから解消したり,ちょっとばかり社会貢献したり,全てを任せて一人旅に出たり.成績は一度仕事を得ればほとんど価値がなくなる (その後の転職はみな前職での結果を重視するから) けど,人付き合いは大事にすれば一生ものだし,私はその実例を親を通して肌で感じている.こうやって悩み話もする暇さえも勉強に回して,それで得たい成績が得られなくなって最後の頼み綱も失くしたら,何にも頼れなくなっちゃう.それで追い詰められて身を投げちゃうんだよ.ほんとに大事なものは勉学だけじゃないし,何が大事かは自分が決めることだ.人にとやかく言われる筋合いは無い.少なくとも学生の内は,時間をどんなことに投資しているかを意識しているつもりから,「これは本当に自分に投資してるのか」という問いに NO と答える日が続くのなら,どんなに良い報酬が得られてもやらないほうがいいだろう.結果がどうあれ,どんな形であれ,私がこれまで過ごしてきた時間にはちゃんと意味があり,今の自分を作っている.だから私は多くの大人が懐かしむように,「大学時代はもっと勉強してれば良かった」なんて都合の良い後悔は絶対にしない.

▼ボストンでよく見かけたジャケットのワッペン,これは決して北極だか南極のリサーチ・チームに所属していることを示すロゴではなくれっきとしたカナダのブランドなのだ.むちゃくちゃ高い.一番安くて600ドルする.近いうち,世界的に有名になりそう.

▼いやあ,数年ぶりの再会,「初めまして」もあり,実に充実した土日でありました.これから一週間は,友人や知人のあてのない土地で観光客やってきます.